菊永 英里

Eri Kikunaga

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1981年生まれ。幼少期を海外で過ごし、帰国後16歳のときに起業を決意。銀行員の父に9年間事業計画書を提出し続ける。大学卒業後、2003年にITベンチャー企業に入社。営業、役員秘書、 新規事業立ち上げに従事。24歳に開発した「ロック式ピアスキャッチ」で2006年に特許を出願。2007年株式会社クリスメラを設立。

キュレーターの想い

子供たちには「楽しい」という感覚を大切にしてほしい。楽しめれば打ちこめるし、上達もする。きっと人生が豊かになる。

16歳の時に人生計画を立て、「25歳で起業」「29歳で結婚」と決める。

26歳で起業し、30歳で結婚、そして31歳の時に第1子を出産しました。現在は来月3歳になる女の子、1歳の男の子がいます。
実は、これらはすべて、私が16歳の時に決めた人生計画に対して、半年から1年ずれて実現したもの。半年から1年は誤差だと思っているので、ほぼほぼ計画通りに進んでいます。

銀行員だった父親の仕事の関係で幼少期から海外に渡り、高校受験で帰国。大阪のおばの家で、受験までの期間を過ごしたのですが、塾に通う朝のラッシュの人の多さに恐怖を覚え、満員電車に乗れなかったんです。何度挑戦してもダメで、そのまま泣いて帰宅してしまいました。そのとき、「中学校3年生で電車に乗れない人なんてほとんどいない。つまり、自分は普通の人が普通にできることができない子なんだ。」と知りました。でも私はそれを知って自分の人生を諦めようとは思いませんでした。「そうか、電車に乗らなくていい人になればいいんだ」と思って、そのためには起業するのがいいと思いついたのです。

まず30歳で第1子を産むことを決めました。私が30歳の時は、父は60歳で定年退職しているはず。私が産休に入っている間、私の会社の運営を任せようと考えたのです。それまでには会社を軌道に乗せておかなければならない。それには5年ぐらい必要だと考え、「25歳までに起業する」と決めました。

その日から9年間、事業計画書を作って父に見せては突っ返される…という日々が続きます。「頭痛がするほどひどい」「お前がやる意味があるのか?」「大手が同じようなアイデアを出してきても勝ち目がある内容か?」なんていう散々なフィードバック(笑)。そして、大学時代に起業してみようとして立ち上がらなかった経験から「実際に会社の仕組みを知らないと」と気付き、大学卒業後、25歳までの3年間は就職すると決めました。

彼にもらったピアスを無くしたことを機に「外れないピアスキャッチ」を思いつく。

そうして26歳の時に「ロック式で外れにくいピアスキャッチ」の卸売会社を立ち上げます。唯一、父にOKをもらった事業計画でした。それまでの事業プランとは違って、父にプレゼンするまでに試作品を作り、特許出願もしていたので、明らかに本気度が違いました。私自身も「これが私のやるべきことなんだ」という確信を持っていたことが大きかったと思いますね。

「外れにくいピアスキャッチ」を思いついたのは、24歳の時。当時付き合っていた彼にプレゼントとされたピアスを無くして、大ゲンカしたのがきっかけでした。ピアスって、みんな一度は無くしている。私のせいではなく、ピアスキャッチのせいなのではないか?と、原案となる図面を描き始めたのです。

ピアスって、紀元前3000年から存在する、歴史ある装飾品なのだそうです。一方で、2012年に女性1000人にアンケート調査したところ、86%がピアスをなくしたことがあり、そのうち9割が何度も無くしているとの結果が出たのです。
5000年もの歴史があるのに、人々はまだピアスを無くし続けている。「ずっと市場は空いていた」わけです。私が解決しなければならない問題だ!と使命感を覚えました。

製造前に「このようなピアスキャッチを作りたいと考えている」と宝石店の方にお話をしたら、中には「無くしてくれたほうが、また買ってくれるしいいのでは?」という声がありました。ただ、私たちの調査によると50%の人が「よく購入するピアスの価格は3000円以下」と回答。そして、約60%の方は「失くすのが怖く、安いものしか買えない」と回答しています。つまり、すぐ無くすから高いものは買えない…という宝石業界にとっても無視できない負のスパイラルに陥っていたのです。
本来、ピアスは装飾品なのに、消耗品扱いされてしまっているのはもったいない。ロック式のピアスキャッチならば、いいものを恐れず身につけられるようになる…と訴えたところ、賛同してくれる企業が現れてくれました。現在も、こういう想いを理解し、賛同してくれる企業と取り引きさせていただいています。

子供が小さいうちはワークとライフを分けない、が私のスタイル。

「25歳で起業」の計画は半年ずれで実現できました。次は29歳での結婚、30歳での出産です。

実は28歳の時に8年間付き合っていた彼と別れることになってしまい、「これは大変だ!次に付き合う人とは結婚しよう!」と決意しました。そして、そのときに出会ったのが23歳の男性。「私は来年結婚する計画になっていて、次付き合う人と結婚しようと思っているのですが、付き合いませんか?」と逆プロポーズしましたが、「結婚なんてまだ考えたこともない」と断られてしまいました。しかし、そこでめげることなく、「私はこういう人生を送りたいと思っている。パートナーになってほしい」と4カ月間粘り強く交渉し(笑)、最後は彼が根負け。無事に30歳で結婚することができ、31歳での出産も叶いました。

そもそも、「電車にも乗れない私が、仕事も子育てもしたい」との目的で立てた人生計画です。初めは自宅と事務所を分けていましたが、結婚を機に拠点を統合して、仕事と子育てを両立できる環境を整備しました。

よく「ワークライフバランス」が言われていますが、「ワークもライフも一緒にしてしまう」のが私のやり方。仕事をしながら煮炊きをして、その近くで子供を遊ばせる…という方法を取っています。
ワークとライフをバランスよく分けるメリットは、当然あると思います。脳みそが切り替えられるし、生活にメリハリもできる。でも、私の場合は、子供が小さいうちは全てを一緒に見られる環境のほうがやりやすいし、ストレスがない。もちろん時期という問題は大きくあって、今はこのやり方が一番いいけど、なにか環境が変わったら違う方がいいかもしれない。何が正解、というものはなくて、その時々に、自分が気持ちのいい方法を選択すればいいのでは?と思いますね。

地方で育てば、「東京に行きたい」「海外に出たい」と東京にいるより視野が広がる。

本社の所在地は東京ですが、実は現在、実務機能は岡山県の倉敷に移しています。

私も夫も、幼少期を海外で過ごしたため、子供が英語を吸収する時期に何年か海外に拠点を移したいねという話をしています。倉敷に移ったのは、そのためのテストでもあります。場所にとらわれない働き方を検証したかったのです。地方でも会社がうまく回せるようだったら海外だって問題ないはず。現時点では、大きな不便はなく、とっても快適です。

東京では文京区に住んでいて、周りに教育機関がたくさんありました。「いい教育を受けさせるならば、東京にいる方がいいのでは?」と思ったこともありましたが、今では、地方から自分の好きな場所を目指した方が視野も広がると考えています。

東京には何でもあり、この地から離れるにはそれなりのパワーが要ります。でも、近視眼的になるのではないかと思うのです。東京を離れれば、東京を目指すのと同じ距離感で、世界を目指せます。倉敷で育った子どもたちも将来、「東京を目指すのも、アメリカを目指すのも同じ」と自分の意思で考え、選択できるのではないでしょうか。そのとき、倉敷にいるかもわかりませんが。

それに、東京では保育園に入れたくてもなかなか入れない…という問題がありましたが、倉敷ではとてもいい園に出会うことができました。現在、2人を通わせているのはアクティビティが豊富で、漢字や英語も教えてくれるような保育園。上の子は、2歳で「人参」や「大根」が読めるようになったんですよ。自然豊かでゆったりとした環境の中、のびのびと学んでいる姿を見ると、地方に移り住んでよかったと思いますね。

習い事については、現在検討中。倉敷は美術が盛んなので、クラフトワークをさせるのもいいかな、広い土地を活かした乗馬なんかもいいな…などと考えていますが、実は、何をやるかよりも、本人たちが「楽しい」と思ってくれることが何より大切だと思っています。

私が小さい頃、たくさんの習い事を経験させてもらいました。それ自体にはとても感謝しているのですが、楽しかった印象はなく、結果、何一つ身になっていないんです。楽しめるものは、きっとどんどん上達して、人生がもっと豊かになったのでは…と思うのです。

子供たちには、彼女たちが心から楽しめるような習い事を提供してあげたいですね。習い事の日を楽しみにできるような。そんなワクワクできる場所を、このサイトで探せたらいいなと思っています。

無理して問題を克服するのではなく、回避する選択があることを知ってほしい。

最近、ありがたいことにお話をさせて頂く機会が増えています。そのたびに、皆さんにお伝えしているのは、「辛いことを辛いままにしないでいい。無理をして克服しようとしないでいい」ということです。

電車にすら乗れなかった私が、ここまで自由に生きてこられたのは、「考え方」を変えたからでした。
多くの人は、何らかの問題、課題に直面するとそれを何とか克服しようと努力しますが、私は苦痛に弱いタイプなので(笑)「問題の根本はなんだ」と考え、必ずしも乗り越え克服するのではなく、迂回して避ける道もあるということを知りました。その結果、「電車に乗らなくていい人になる」「ピアスを無くさなくていいようにピアスキャッチを作る」「東京には入れてくれる保育園がなかったから、地方に行く」などの決断につながったのです。

もちろん、私のやり方がすべての人に当てはまるわけではありません。ただ、無理して問題に立ち向かうよりも、回避する方法があると考えれば、心が少し楽になり、視野も広がるのではないでしょうか?

「回避するという方法は、周りの賛同が得られにくいのでは?」と思われる人も多いかもしれませんね。
16歳の時、電車にも乗れない私が「起業する」と伝えた時、父はそれを否定せず「へぇ」と一言、言っただけでした。日本地図を開いて「地方に拠点を移さない?」と伝えた時、夫は「いいね」と言ってくれました。自分でも「ちょっと無理があるかな?」という思いつきでも、周りに話してみると意外に肯定的な意見がもらえて、「なんだ、別にそれでもいいんだ」と思うことで、すこしずつチャレンジしてきています。もしかしたら、あなたの周りにも、協力者になってくれる人がいるかもしれませんよ。